江戸時代初期、最教寺を開いたのは身延山第27世通心院日境上人の弟子仙能院日崇上人です。日崇上人は身延流祈祷の修法師で、上野池之端に當山の基を開かれました。その頃、徳川家二代将軍・秀忠公は息女・千姫の病に悩まされていました。そこで秀忠公は日崇上人へ密かに祈祷を依頼することになります。幸いに霊験あって千姫は快癒しました。秀忠公はこれに喜び、新たに本所押上に2000坪余りの土地を用意し、堂塔伽藍を築造し、日崇上人に寄せました。そこで千姫の法号(天樹院殿栄誉源法松山)に因んで「天松山」と号し、自らの房号・最教房をそのままに「最教寺」と名付け、師匠である日境上人を開山と仰ぎました。